6-1 はじめに──「行動ファースト」がもたらす組織変革
行動ファーストとは、十分な仮説が立ったら小さく素早く動き、現場から得た学びで意思決定を更新していく姿勢である。これを組織の共通規範にすると、意思決定の待ち時間が短縮され、外部環境の変化に対して先手を打てる。以降では、その中核である「80%ルール」と「リーン実験」を誰でも運用できる形に落とし込む。
6-2 80%ルールの理論と実践
6-2-1 80%ルールとは何か:完璧ではなく「十分良い」の採択基準
・意思決定に必要な情報が約80%そろった時点でGO判断を下す。
・残り20%は動きながら学ぶ前提に切り替える。
・意思決定の遅延コスト(機会損失・学習の遅れ)を明示し、「遅らせる根拠」がある場合だけ例外扱いとする。
6-2-2 判断タイミングの設計:どこまで調べ、いつ決めるか
・各プロジェクトの「判断要素リスト」を事前定義し、到達基準を数値で可視化する。
例)市場調査70件以上、主要KPIの一次試算完了、競合3社の比較表更新、法規制の適合性レビュー完了。
・判断会合は“期限ベース”で固定(例:毎週水曜10:00)。資料不足は開催延期の理由にしない。
・判断権者・準備責任者・反対意見の提出窓口を明記し、合意形成の待ち時間を削減する。
6-2-3 リスク管理と80%ルールの両立
・「残り20%の不確実性リスト」を作る。発生確率・影響度・検知方法・対応策を一枚に集約。
・実行後の見直し条件(トリガー)を定義する。
例)獲得単価が目標比+30%超で2週間継続したら一時停止、機能Xのエラー率が1%超で緊急修正、など。
・事前に“逆算型プレモーテム”(失敗を起点に手前要因を洗い出す)を実施し、被害の上限(時間・費用)を設定する。
6-3 リーン実験の基本ステップ
6-3-1 仮説の明文化
・構文テンプレート
対象顧客:〇〇
行動仮説:この機能(またはオファー)を提示すれば、顧客は△△する
検証指標:初回CVR、継続率、NPSなど
合格基準:CVR3.0%以上、継続率40%以上、NPS+10以上 等
・誰が読んでも同じ意味になるように、用語と測定方法を先に定義する。
6-3-2 MVP設計と優先機能の選定
・「価値の核」と「安心の核」だけに集中する。価値の核=顧客が感じる主価値、安心の核=最低限の品質・安全・法令遵守。
・ビルドの前に“紙MVP”(モック、スライド、フォーム)で一次検証。構築前に拒否要因をあぶり出す。
6-3-3 小規模実行とデータ収集の仕組み化
・限定セグメントで短期運用(例:ターゲットの先行顧客30名、特定工場ライン1系列、社内パイロット2週間)。
・イベントログを最初から設計する。収集できないKPIは「測れないKPI」として採用しない。
・定量(行動ログ・数値)と定性(インタビュー・自由記述)を同時に回収し、解釈の偏りを補正する。
6-3-4 学習とピボット
・結果が基準未達の場合は、撤退・縮小・方向転換・継続改善の4択から選ぶ「意思決定フレーム」を事前に用意。
・ピボットの可否は“学習の速さ”で判断する。学びの増分が鈍化しているのに投資が増えていればピボット候補。
6-4 組織への浸透とガバナンス設計
6-4-1 意思決定ルールのドキュメント化と共有
・80%ルール、実験手順、役割定義、レビュー基準をWiki化。版管理と変更履歴を残す。
・新任者オンボーディングの必須教材にし、実例と失敗例をペアで掲載する。
6-4-2 クイックレビュー会議の運営
・週次15〜30分、アジェンダは「仮説→実施→結果→次アクション」の順で固定。
・レポートは1スライド原則。数値と意思決定のみ記載し、議論はオフラインで深掘りする。
・“保留”を許容しない代わりに、再判断の期限と条件をその場で設定する。
6-4-3 権限委譲と失敗許容の文化
・担当者に予算と停止権限(キルスイッチ)を持たせる。
・評価は「結果」だけでなく「仮説の質」「学習速度」「再現可能性」を配点化。
・失敗事例は“学習資産”として短報にまとめ、検索できる形で保管する。
6-5 ツールとダッシュボードによる可視化支援
6-5-1 実験進捗の一元管理
・プロジェクト管理ツールに以下のタグを標準化
H0(仮説定義)/MVP設計/実装中/実験中/解析中/意思決定済/ピボット/クローズ
・各カードに「80%到達率」「次の意思決定日」「キル条件」を必ず記載する。
6-5-2 KPIダッシュボード設計と活用
・実験単位で主要KPIを3つまでに絞る。
例)獲得単価、一次CVR、リピート率。製造なら歩留まり、タクトタイム、故障間隔。
・目標、現状、乖離、原因仮説、次アクションを同一画面に配置し、意思決定の材料を1画面で完結させる。
6-5-3 アラート設定でタイミングを逃さない
・しきい値の例
KPIが目標比−20%を連続3日で自動通知、重大欠陥は即時通知、トレンド転換シグナルは週次集計。
・通知先は役割別に分ける(担当=即時、管理職=日次、経営層=週次で要点のみ)。
6-6 ケーススタディ:80%ルール×リーン実験
6-6-1 スタートアップA社の高速プロトタイピング
・顧客インタビュー5件から課題仮説を特定し、48時間でMVPをリリース。
・1週間でCVRと継続意向を測定し、主要機能の優先順位を入れ替え。
・「80%到達で即判断」を徹底した結果、追加投資の獲得に至った。
6-6-2 大手製造B社の社内新規事業への応用
・社内公募の小規模実験制度を設計。判断要素リストを統一し、実行判断の待ち時間を短縮。
・年間50件超を検証し、約20%が次フェーズへ。従来比で新規事業化率が大幅に改善。
6-7 本章のまとめと次章への布石
・80%ルールは「十分良い」で前進し、学習によって不足20%を埋めるための組織規範である。
・リーン実験は仮説→MVP→小規模実行→学習→ピボットを素早く回す運用作法である。
・ガバナンス(ルール明文化・会議運営・評価制度)とツール(進捗タグ・KPI・アラート)が定着を支える。
・次章では、意思決定の質と速度をさらに高めるために、チーム間で未来予測を共有する「フィードフォワード文化」を扱う。
付録A 即導入できる運用テンプレート
A-1 判断要素リスト(例)
・顧客検証件数:70件以上
・主要KPIの一次試算:完了
・競合レビュー:3社比較表を更新
・法規制・安全確認:一次レビュー完了
・実行後のキル条件:数値で明記
A-2 実験カードひな型
・仮説(誰に、何を、なぜ効くか)
・MVP内容(価値の核/安心の核)
・検証期間と対象セグメント
・KPIと合格基準
・ログ設計(収集イベント一覧)
・キル条件と見直し条件
・次の意思決定日
A-3 週次クイックレビューのアジェンダ(15〜30分)
・先週の実験結果サマリ(1枚)
・合格/不合格/保留の判断
・次アクションと担当・期限
・障害と支援依頼
・来週の意思決定予定
A-4 評価指標の例
・仮説の質(明確性・検証可能性)
・学習速度(サイクルタイム、意思決定のリードタイム)
・再現可能性(手順書・ログ・ダッシュボードの整備度)
・インパクト(KPI改善幅、コスト/時間の削減効果)
付録B よくあるつまずきと対策
・完璧主義で着手が遅れる → 判断要素を数値化し、期限ベースの会議で強制的に意思決定する。
・測れないKPIを掲げる → 収集可能なログから逆算してKPIを定義する。
・失敗共有が進まない → 短報フォーマットを統一し、検索可能なナレッジに格納する。
・権限委譲が形骸化 → 予算と停止権限を明記し、実際に発動した事例を表彰する。
この章は、読んだ翌日から運用に移せることを目的に設計している。上記テンプレートを使い、まずは小さな案件を1つ選んで「80%で決め、2週間で回す」経験をつくろう。学習の速度が、組織の競争力に直結する。
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