1.取引の全体像
● 取引主体
トクヤマは2025年4月22日、JSRが新設分割で切り出す体外診断薬(IVD)関連会社の全株式を取得し、10月1日付で完全子会社化すると発表しました。買収額は現金で820億円、資金は手元資金と有利子負債で賄います。
● 事業内容
対象会社にはJSRライフサイエンスのIVD・分子診断薬、研究用試薬、粒子原料の製造販売、並びにMBL(Medical & Biological Laboratories)や国内外子会社が含まれます。
● クロージング日程
各国の競争法・外為法の審査を経て、2025年10月に完了予定です。
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2.トクヤマ側の狙い
(1)ヘルスケア領域の成長加速
トクヤマは中計2025で「エレクトロニクス・ヘルスケア・環境」3本柱への事業転換を掲げています。既に歯科材料や診断装置(A&T)を有し、今回の買収で抗体・粒子原料まで一気通貫のポートフォリオを獲得。診断薬開発のリードタイム短縮とクロスセルで短期シナジーを見込みます。
(2)海外展開の足掛かり
MBLは中国メーカー600社以上に原料を供給する販路を持ち、インド市場も視野に入ります。トクヤマにとって新興国ヘルスケア市場へ乗り込む「現地チャネル付きM&A」と言えます。
(3)財務インパクト
買収額820億円は前期トクヤマ営業CFの約4年分。負債増は避けられませんが、高マージン診断薬の上乗せでROIC改善を狙う構図です。
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3.JSR側の背景
(1)非中核資産の現金化
JSRは2024年に政府系JICのTOBで非公開化され、資本制約が緩和された一方、ライフサイエンス事業は赤字が続き、半導体材料に経営資源を集中させる必要がありました。
(2)資金使途
820億円の売却資金は半導体向け次世代レジストやEUV関連CAPEXに充当し、グローバル顧客との競争力を維持する狙いとみられます。
(3)損益改善目標
JSRは2026年3月期までの黒字回復を掲げ、今回のディスカッションを「負ののれん解消」として織り込みつつ、財務健全性向上を急ぎます。
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4.新社長・堀徹郎氏のプロフィールと方針
2025年4月1日付で代表取締役CEOに就任した堀徹郎氏は、1985年に東京エレクトロン(TEL)入社。知財・法務・財務畑を経て同社CFOを務めた後、2024年1月にJSR入りしCFO/CLOを兼務しました。
堀氏は就任インタビューで「財務体質の立て直しと顧客価値の伴うM&Aのみを選別する」と発言。ライフサイエンス事業売却もその一環で、半導体マテリアルに集中するTEL流の“選択と集中”をJSRに移植する方針が読み取れます。
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5.業界・投資家への示唆
① 半導体材料専業化のトレンド
JSRの撤退で、国内化学大手の中でも「素材×半導体」専業化がさらに鮮明に。レジスト世界首位のJSRと製造装置大手TELの人材クロスオーバーは、経営上も“半導体エコシステム主導型”ガバナンス強化を象徴します。
② ヘルスケアM&Aの活性化
少子高齢化を背景に、化学メーカーが診断・創薬周辺技術を取り込む流れは続く見通し。トクヤマの事例は、研究用試薬や診断薬など“高付加価値・ニッチ”分野が買収対象として評価されやすいことを示唆します。
③ バリュエーションの観点
買収価格は売上高の約2.3倍(推計)と、診断薬業界のEV/S倍率(2〜4倍)レンジ下限。コモディティ主体のトクヤマが高付加価値事業を取り込みながらも、一定のプライスディシプリンを保った点は投資家に好感されやすいでしょう。
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6.まとめ
売却側のJSRは純粋な半導体材料メーカーへ、買い手のトクヤマはヘルスケア成長ドライバーを獲得。両社とも「コア事業への集中」という文脈で合理性が高い取引です。堀新社長のもとでJSRが再成長軌道に乗れるか、そしてトクヤマがシナジーを早期に顕在化できるか――素材業界の戦略再編はまだ序章に過ぎません。
投資家としては、
・JSR:資本効率改善と半導体レジスト需要の回復ペース
・トクヤマ:買収後の利益貢献時期と負債圧力
を注視しつつ、次のM&A案件や業界アライアンスの芽を見極めたいところです。
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